「考えすぎない」を考えすぎる時点で終わっている
あけましておめでとうございます、かまたまです。
いつのまにか年が明けてました。
昨年の更新の少なさを振り返って流石に反省しました。
2018年はもう少し色々と言葉にしていきたいです。
さて、今年の抱負は「考えすぎないこと」。
抱負とは言ってみたものの、なにも私の人生で初めて挑戦することではなくて、これまで何度も心に決めては挫折してきました。
というか、「考えすぎない」ようにと意識しすぎて、考えたい自分とそれを押し留める自分が脳内で喧嘩を始めるもんだからそのたびに頭を抱えまくっています。
「考えすぎない」ことを考えすぎて、脳内がねじれ国会みたいになってる。
というか、考えすぎる性格に対して、「考えすぎない」という対策をとるのは、なんかちょっとベクトルがずれている気がする。
だって、考えすぎないってことができないから考えすぎるわけで。
食べすぎの人が「食べすぎない」という目標を立てたところで達成できなさそうなのはサルでもわかる。
あと、「考えすぎない」っていう対策の、中途半端感もよくない。
なんていうか、ものを食べるときは必ず20回以上噛んでからじゃないと飲み込めない人に対して、5回で飲み込めと言うような。
口に入れたなら噛まないと飲み込めない人種。
考えすぎる人もたぶん同じ。
何かに対峙したとき、それを考え始めた時点で、丁度いいところで思考をやめるなんてことができない。
考えるならとことん考える、そうじゃないなら最初から考えないほうがいい。
「考えすぎない」というふわふわしたブレーキではまったく歯止めが利かない。
だとしたら、「考えることと考えないことを区別する」ほうがいいのでは?
考えること自体は悪いことじゃないけど、問題なのは「考えても仕方のないこと」を延々と考えては勝手に鬱々とし始めるところ。
精神衛生にめちゃくちゃ悪い。
だから、考えてもわからないこと、考えたところで何の学びもなさそうなことは考えないようにするのが賢明かもしれない。
逆に、考えるべきこと、考えればわかることはちゃんと考える。
1人で解決するんじゃなくて、ひとでも本でも映画でも、とにかく外部にヒントを求める。
自分の引き出しにあるものだけで出した答えは、大なり小なり偏っているから。
思考が凝り固まって成長しない。
実際最近「価値観の合わない人の話は聞けなさそう」と知人に言われたんですけど、図星すぎワロタって感じでほんとマジにへこんだ。
今年は就活もあるせいで心が折れまくる未来が既にありありと見えて、先の自分が心配。たぶん、めちゃくちゃ消耗するんだろうな……。
自分のことを一番よく知っているのは自分らしいけど、私は私のことがさっぱりわからない。
むしろ友達から見た自分を語られるほうがよっぽど納得する。
「自分が思う自分」と「周りから見た自分」とが乖離すればするほど、理解されないとか本当の自分はどっちかとかで苦しむ。
それなら、周りから見た自分像になるべく寄っていく方がいいんじゃないかとも、ちょっと思う。
周囲からの評価と承認で自分の存在があるのなら、自分がどう思っていようが、言ってしまえば全然関係ないような気がする。
このへん、ニーチェとかキルケゴールとかがなんか言ってそう。しらんけど。
ただの女子大生の頭で考えつくような真理は真理じゃないし、数百年数千年前に偉い人がだいたい全部言ってる。
まあ、それでも、そこに自力でたどり着けるくらいには、柔軟で明快な人間になりたい。
あと運動不足も解消したい。
2018年、実りある1年になりますように。